ちゃんと反省してれば出て来られないよな・・・

2011年7月17日

久しぶりにエフエム滋賀のホムペを見ていて、仰天した。
新社長に、あの二反田隆治氏が就任しているではないか。

コンサル出身の二反田氏は、「みんなの滋賀新聞」創刊に編集局長などとして深く携わった人物。
同社が倒産後も「悪いのは社員。経営陣の責任はない」との立場を取り続け、それを正当化しようと龍谷大とイベントを共催するなど、執拗に責任を他に転嫁しオーナーであったオプテックス社長の小林徹氏を守ろうとしていた。
滋賀新聞の経営面でも、経営計画の立案をコンサルに頼るなど見通しの甘さや判断力の欠如が目立ち、末期には経営上の実権の多くを、後述する強面で知られるKBS京都の元常務に握られる有り様だった。

「滋賀新聞」の乱脈な運営が外部に漏れるに従い、同社に多額の出資をしていた彦根財界と小林氏サイドの間で反目感情が生まれ、それは後の知事選で決定的なものとなる。その知事選でも、嘉田現知事の陣営関係者に二反田氏と親しい人物がズラリと並んでいたのは、知る人ぞ知るところだ。

その後、二反田氏は小林氏の肝煎りとやらで県の関連団体に席を置いていたが・・・。
今回のエフエム滋賀の社長就任も、前任者の櫻井氏同様、小林氏のダミーだろう。それも、より直接的な形として。

小林氏と彦根財界の一部との間で行われてきた滋賀新聞への出資金などを巡る訴訟はすでに決着しているはずだが、人間の感情には時効はない。エフエム滋賀は滋賀新聞同様に彦根財界から多くの出資を仰いでおり、二反田氏を「招かざる客」と見る向きは少なくないだろう。この点で新社長は厳しい舵取りを迫られる場面が多そうだ。

さらに問題なのは、二反田氏の取り巻き。KBS京都の更生法申請直後に京都新聞からKBSに取締役(後に常務)として送り込まれ、強面のイメージが強い中村弘武氏や、メディアコンサルとして知られ、その後は雇用保険助成金の不正受給が発覚した龍谷大准教授の築地達郎氏ら、ある意味錚々たる面子が揃う。KBS事件の二の舞を危惧するのは私くらいのものだろうか。

また、メディア企業の立場から見るとエフエム滋賀には京都新聞と中日新聞がそれぞれ出資している。ただ、二反田氏の人脈はあまりにも京都新聞系に偏っており、その決して良いとは言えないイメージもあって、中日サイドには面白くない部分が多いはずだ。
この点でも寄り合い所帯の会社の社長として二反田氏がふさわしいかどうかは、ちょっと考えれば答えは出るはず。

おそらく小林氏は、「もっと直接的に自分の意思を反映できる」存在として、エフエム滋賀の新社長に二反田氏を据えたということだろう。それを受諾した二反田氏ともども、たかだか5~6年前の問題に対する反省が全くないことも、この人事で明らかになった。ちゃんと反省していれば、別の人物が社長になっていたはずだ。

情けないことである。

サーバーを移転します

2011年1月8日

以前にもご紹介した通り、このブログを置くサーバーを移転することにしました。

急な話で恐縮ですが、本日1月8日の午後10時30分ごろから作業を行います。また、これに伴い3日間ほどこのブログの表示が不安定になりますが、ご了承ください。

今後とも「滋賀新聞研究室」をよろしくお願い致します。

「滋賀新聞研究室」管理人

近くサーバー移転を行います

2010年12月21日

諸般の事情(要するにコスト削減)により、近くこのブログを置いているレンタルサーバーを移転します。

詳細は後日お知らせしますが、半日程度メンテナンスを行う予定です。
閲覧される皆さまにはご迷惑をおかけしますが、ご理解いただきますようお願い申し上げます。

他人事ではないプリウス「リコール祭り」(1)

2010年2月28日

トヨタの看板車種「プリウス」のリコールを巡り、あちこちで大騒ぎ。欠陥発覚後の対応を含めて、お粗末ぶりには呆れるばかりだが、日本のものづくりの現場が相当酷い状況に陥っている証左ではないだろうか。

「研究室ブログでプリウス祭りネタでつか?」と、思う人もいるかもしれない。実は、メディア関連のソフトでも相当酷い状況がまかり通り始めている。以前からこちらで取り上げようと思っていたのだが、プリウス祭りは絶好のチャンスだw

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一年半ほど前、とある新聞協会加盟社でお粗末な紙面事故が起きた。刷り上った紙面のそこかしこに、『007』の暗号のような、意味不明の文字列が並んでいたのである。本文はもちろん、見出しや絵解きにも同じ現象が見受けられる、絶対に読者の手に渡ってはならない紙面が配達されてしまった。

この事故、よくある「ただの誤植」ではなく、特定の文字が違った文字として出力されてしまう「文字化け」が原因だった。しかも当該社のシステムは更新直後。システムに不具合があったことは想像に難くない。
実はこのシステム、驚くべきことに新聞製作システムの開発で絶対に行わなければいけない、「全文字チェック」という工程が省略されていた。

「全文字チェック」という単語、紙面製作システムの開発に携わったことがない人にはピンとこないだろう。
簡単に言ってしまうと「文字化けのチェック」だ。記者ワープロで入力できる文字をすべて製作システムに送り込み、最終紙面やゲラ出力で文字が化けていないか確認するものだ。およそ1万5000字を1文字ずつ確認する、大変な作業だ。通信社から配信を受けている場合は、配信元ごとに同じ作業を行う。新聞製作システムの構築では、労力をもっとも必要とする作業の一つだ。

問題のシステムを開発したのは、新聞製作関連のシステムでは老舗中の老舗。全文字チェックの重要性は認識していたはずだ。
ところが、トラブルを起こしたシステムの開発は、新聞製作システムの経験がほとんどない会社に〝丸投げ〟されていた。ある意味、起こるべくして起こったシステムだが、問題のトラブル以降、その老舗ベンダーの信用はがた落ちになっている。

(つづく)

全国紙と地方紙 変わる関係

2010年1月20日

毎日の共同再加盟と、それに関する共同と加盟社、それに毎日が繰り広げる三つ巴のゴタゴタが続いていると思ったら、こんな記事が。

朝日新聞社が紀伊民報と業務提携(朝日=魚拓)

今までの中央紙と地方紙の提携は、中央紙側が地方紙に記事を配信するという形態だったが、今回はその逆。地方紙が地ネタを全国紙に配信するものだ。朝日は紀伊田辺の支局を閉鎖するという。

会社の垣根を超えた印刷拠点の統廃合や共同輸送の拡大など、大手紙各社は生き残りを賭けて経費削減に動いているが、今回もその一環だろう。今後は、人的な交流が行われる可能性もあるとみる。

協会発行の「新聞研究」1月号では、中日新聞の大島社長が、東海地区での「朝日」の印刷受託に向けた交渉が進んでいることを示唆している。「新潟日報ショック」の第2弾、第3弾が公になる日も近いだろう。
一方で、経営基盤の弱い地方紙では自社印刷を打ち切り、全国紙の工場に委ねる動きもある。茨城新聞は、今年秋から読売の工場(運営は旧東タイ印刷)での印刷となるほか、首都圏で同様の動きが伝えられる社もある。

地方紙から中央紙への記事配信は、戦後の一時期に行われたNHKに対するものを別にすれば全く新しい展開だ。
また、地方紙へのコンテンツ配信で先鞭を付けている読売では、地方紙との契約の中に「読売への記事提供」が既に盛り込まれていることから、朝日と同じような提携を各社に対して行い、地方紙を囲い込む戦略に出るだろう。

しばらくは面白い動きが進みそうだ。

先行き厳しい「ファブレス新聞」

2010年1月8日

日本国内の独立系新聞印刷では最大手だった、東京・池之端の「エス・ケイ」グループが経営破たんした。

総合印刷業の「エス・ケイ」が自己破産を申請し倒産、負債20億(不景気ドットコム)

メディア関係者なら、「文化通信」を刷っていた工場と言えばピンとくる向きも多いだろうか。
ここの会社、ずっと昔には「デイリースポーツ」を刷っていた。「デイ・エス」という関連企業があるのは、その名残である。DTP化が進んだ現在では珍しく、入力や組版の大掛かりな設備を残していた工場で、それ故に100紙ほどの新聞の印刷を請け負っていた。
産経関連の印刷を引き揚げられたのが、致命傷となったようである。

気になるのは、ここで刷っていた新聞の受け皿となる印刷会社だ。都内の独立系印刷会社は、他に数社。ただその中で最も設備が大きい会社は、「内外タイムス」などの破綻で経営状態が非常に厳しくなっているという見方が強い。それ以外の会社は、数万部程度の地方紙並みの設備しかない。

大手紙や政党紙系列の新聞印刷会社も、急速にリストラを進めている。とりわけ人件費比率が高くなる上流工程でその流れが強く、顧客のDTP化を進めて自社の上流部門の縮小を進めている。「エス・ケイ」に新聞製作を依存していた業界紙などは、この点が大きなネックになる。

下流の輪転・発送部門もリストラが止まらない。資本の枠を超えた印刷拠点の統合が進み、首都圏に限って言うなら数年後には、2005年度の6割ほどにまで印刷能力が削減されるだろう。全国レベルでも7割程度まで落ち込むはずだ。全国紙が遠隔地の地方紙に印刷を委託する動きも、今年はさらに進むだろう。

このように、新聞印刷会社では大幅な設備削減を進めているのが現実で、小ロットで手間ばかり掛かる業界紙の印刷受託は打ち切るか、大幅に値上げした上で工程時間を動かしたいのが本音だ。
読売系列では、すでに業界紙などの受託を大幅に絞り込んでいる。朝日も同じ動きをしていて、朝日系列で印刷しているいくつかの大手業界紙に対しては、印刷拠点が次々と失われる現状から新聞の存続を危ぶむ声すら出ている。

新聞業界の「ファブレス経営」は、各社の余剰生産能力に一方的に頼っていたのが本質。その前提条件が崩れてしまった今、自前の印刷工場を持たない新聞が生き残るのは非常に厳しくなっている。
2010年は、そうした新聞が次々と姿を消す一年になる。その中には、規模の大きな社もあるはずだ。

内外タイムス逝く

2009年12月1日

「リアスポ」などと書かず、あえて昔の名前で呼ばせていただく。幾たびとなく経営危機に見舞われながら、しぶとく紙齢を重ねてきた「内外タイムス」が、ついに過去帳入りしてしまった。

かつては東京タイムズ印刷(現在のアサガミ・プレスセンター)で印刷していて、東タイと内外は編集局が〝お隣さん〟でもあった。私にとっては馴染み深い存在だ。紙面内容に顔をしかめる向きもあるだろうが、東京の風俗史の記録者として右に出る者はなかった。大阪の夕刊紙が全滅した今、昭和の香りを伝えるブランケットの即売夕刊紙で、紙齢を重ね続けるのは東スポだけになった。

これだけ不況が続くと、部数が少ない新聞社の経営は相当深刻な状況のはずだ。資本注入の見返りや合理化で全国紙の分散工場に印刷を委託している社では、各社の分散工場再編成のあおりで、印刷拠点を失いかけている例もある。少し前に話題になった首都圏某紙の「冬期賞与5万円事件」など、その一例。

数日前にも、経営危機が続く地方紙の資金調達を担っていたという見方のある、某メディア企業の身売りが報道されていた。身売り先の出方次第では、当該地方紙に〝死刑宣告〟が下される可能性も否定できない。

年の瀬に向けて、突然死する小規模紙がいくつか出そうな雲行きではある。

滋賀新聞のコンサルが補助金不正受給

2008年1月13日

「みんなの滋賀新聞」創刊に深く関わった、「京都経済新聞(休刊)」や「報道ネットワーク」の代表を務めるメディア関連コンサルタントの築地達郎氏が、厚生労働省から雇用保険関連の補助金を不正に受給し、その指摘を受けた後も返還にもほとんど応じていないことが、12日発売された朝日新聞の週刊誌「アエラ」で報じられている。

築地氏は日経を退社後に「京都経済新聞」を立ち上げ、メディア関連のコンサルティングに従事しているが、「京都経済新聞」「みんなの滋賀新聞」をはじめ手掛けた紙媒体は失敗例が目立つ。コミュニティ放送局「京都三条ラジオカフェ」立ち上げに関わったことから、コミュニティFM開局についてのコンサルも行っているといわれる。また、都内で同じような事業を営む「東京タイムズ(廃刊)」OBと組み、各地の新聞にロイター通信の経済情報を売り込んでいるともいう。

「みんなの滋賀新聞」倒産後は、同社の元社員の一部の再就職に関わるほか、龍谷大学教官として同社編集局長を招き、「休刊の原因は社員の無能」との発言が問題になったシンポジウム開催にも深く関与している。

滋賀新聞関連でも多くの疑惑があるだけに、今後の続報を注目していきたい。

みんなで作る新聞社 破産管財人報告書

2007年8月7日

みんなで作る新聞社 破産管財人報告書(PDF)
※閲覧にはPDF閲覧ソフトが必要です。

「みんなの滋賀新聞」を発行していた「株式会社みんなで作る新聞社」が破産宣告を受けた後、管財人が第1回債権者集会に提出した報告書です。

報告書によれば、この時点で公益債権を差し引くと30万円程度の資産しか残されておらず、一般債権者への配当(債務返済)は不可能なことが記されています。
企業倒産の実務を扱った経験のある方ならご存じでしょうが、これは中小企業の「計画倒産」時に良く取られる手法の一つで、会社の資産は別の会社に付け替えられたり、経営者の個人資産に化けたりするケースが多いわけです。

結果的に運転資金を融通した多くの一般債権者が泣きを見たわけですが、小林徹氏が経営する株式会社オプテックスには債務の多くが弁済されています(オプテックスの2005年12月期有価証券報告書による)。しかもこの弁済は破産申し立ての直前に行われ、管財人報告書にもその記載はありません。

なお滋賀新聞が入居していたビルは現在起業支援施設ということになっていますが、入居する企業の登記簿を見るとその多くで、小林氏の先妻の住まいに住所を構える小林姓の男性が取締役に名を連ねています。

みんなの滋賀新聞販売店主会議事録

2007年4月27日

 みんなの滋賀新聞販売店主会議事録(PDF)
※閲覧にはPDF閲覧ソフトが必要です。

「みんなの滋賀新聞」休刊報道を受けた、販売店主向け説明会の議事録です。
当然ですが、販売店主からは急な休刊決定や、社長が姿を見せないことに対する憤りの発言が相次いでいます。

本議事録中で「社長の20億円に上る個人保証債務発覚が休刊の引き金ではないのか」との指摘がある店主からあり、会社(専務取締役)はその事実を否定しましたが、この約2カ月後に開かれた債権者・株主説明会で社長自身が保証債務の存在を認めたことを、後日のため付記しておきます。